交換留学体験記

相原 賓七 さん

ブルゴーニュ大学交換留学報告書

法文学部人文社会学科3回生フランス言語文化専攻 相原賓七

1.留学の概要


留学先:フランス、ディジョンのブルゴーニュ大学

留学期間:5か月間

実施年月:2022年9月2日~2023年2月2日

2.留学しようと思った理由

フランスへ留学したいと思った理由は、主に二つある。一つは、フランス語力と会話力の上達だ。昨年度の夏に参加したオンラインのフランス語研修に参加し、現地の方とフランス語のみしか使うことのできない環境でコミュニケーションを交わしたことで、2週間という短い間でも、今までの学習の中で最もフランス語を「使う」ことの成長を感じることが出来た。このことを通して、フランスの現地で、フランス語に囲まれた環境に身を置き、学習することが自分のフランス語能力を向上させるにあたって必要であると強く思うようになった。そして、二つ目は、幅広い話題について議論が出来るようになりたかったからだ。私は、自分の考えを表明することに臆病で、議論することが苦手だった。しかし、前述のオンラインの研修を通して、フランス人のチューターの方と、フランス国内で話題のニュースを教えてもらい、それらについて意見を述べ合うプロジェクトに取り組んだのだが、その際に、フランス語でフランスの方と話しているときは、なぜか日本にいる時よりも積極的に議論を進めることが出来たと感じた。(その「なぜか」についても、今回の留学で解明することができたので、次項で記述する。)チューターの方から、家族や友人間などでも政治的なことなども日常的に議論をすると教わったことで、フランスにおける交換留学を通して現地の方々と会話を交わすことが、自分が少し苦手意識を感じている「議論すること」に対して、克服するきっかけとなると考えた。以上の理由から、「フランス語力の向上」と「議論すること」を目標とした留学をしたいと思いブルゴーニュ大学への留学を決めた。

3.留学先で学んだこと、成長したこと

留学先では、国際文化について学ぶコースで多国籍のクラスメイト達と机を並べた。そこでは、文化論や芸術に関する授業を主に履修した。その他にも、すべてフランス語で行われるフランス語の語学の授業を履修し、コース外で開講されていた哲学の授業も聴講した。母語以外での学習は始めは難しく感じたものの、先生や友人たちと皆で解釈を噛み砕き、話し合うことで、理解を深めることができた。そして、このコースでは、文化を体感するため、月に一度、校外研修としてディジョン近郊の文化施設を訪れることができた。12月度の研修は4泊5日で行われた。それぞれベッドだけの個室が与えられ、バスやトイレは全て共同で使用し、料理は、当番制で協力し合いながら、食事の用意や後片付けを行って過ごした。多国籍のクラスメイトたちとこのように深く接する機会があったことで、私は「多様性」に身を置き、それらを受け入れ合うことを身に付けることができた。時間感覚や食事の好み、文化的背景や宗教も異なる人々が集まり合う環境では、もはや多数派も少数派もない。それぞれが持つ文化が、それぞれ正しいのだ。私はそれらの違いに対して、一つずつ理解し、受け入れることで、自分を飾らずに受け入れてもらえることの喜びを知り、他者に対しての寛容な心が身に付いた。

フランス語力ももちろん充分に成長することができた。友人たちとの日々の会話から、買い物をするとき、電車を利用する時など、日常生活に必要な様々な場面でフランス語を浴び、使うことができて、フランス語を勉強するために最適な環境だった。帰国後に愛媛大学でフランス語を教えるモヴェ先生と、一対一でフランス語のみで長時間話をすることができるようになった。モヴェ先生に「すごくフランス語が上達したね!上手に話してるよ!」と評価してもらうことができた。これらを成果として残すために、来年度には仏検2級の取得を目指している。

そして、目標としていた議論をする力も身に付けることができた。フランスでは噂通り、日常の何気ない場面で哲学的な質問や政治的な質問を投げかけられることが多かった。クラスメイト達とカフェに行った際に、「あなたは自分を大人だと考えているか?」という質問を、フランス人の友人が全員に投げかけ始めたという一幕が、このことを象徴するエピソードの一例だ。その他にも、授業中に積極的に議論が始まるのが当たり前であることに加え、授業の運営に対しての不満などを教授と生徒たちで議論するためのコマがあるなど、学校でも議論が重要視されていた。この環境に身を置いていると、私も自分の意見や答えを求められる場面が多くあった。外国語でのコミュニケーションということもあり、自然なスピードでその会話に返答するためには、問いに対する答えは頭の中ですぐに用意して、外国語でそれらを説明する言葉を考える段階になるべく早く移行することが必要だった。この流れを繰り返すうちに、自分の本心や意見を素早く頭の中に思い浮かべ、それらをすぐに言葉にすることができるようになった。

4.留学先で楽しかったこと

留学先の楽しい思い出は数え切れず、滞在時に使用していた手帳を開けば、かつて書き込んでいた一日一日の予定たちの文字が、鮮明に記憶を思い起こさせる。その中でも選りすぐりの思い出たちを紹介する。

まずは、パーティーだ。ホームパーティーや寮でのパーティー、大きな場所を貸し切り、学校主催で開催されるパーティーなど、様々な種類のパーティーに参加する機会があった。留学に行く前は、パーティーに対して格式が高いものという印象があったが、実際に参加してみると、多くの場合、パーティーとは特別なものではなく、日常の中にあるご褒美という位置づけであると感じた。パーティーでは、お酒を飲みながら様々な人と話をした。親しい友人間では、ゲーム形式で自分について話をし、初対面の人とはお互いの持つ文化の事をよく話した。

次に、寮での思い出だ。私は、同じ寮にクラスメイトや仲の良い友人が住んでいたため、共用スペースやそれぞれの部屋などによく集まっていた。キッチンが共用で広かったため、クラスメイト達とアジアンショップで購入したラーメンを作って食べたり、中国人の友人と、英語と中国語の二言語字幕付きでフランス映画『プチ・ニコラ』を鑑賞したり、モロッコ人の友人にハルシャ(モロッコのデザート)やモロッコ風紅茶を振舞ってもらったり、友

人と時間を共有できる環境だった。ちなみに、寮はお風呂、トイレ、ベッド、収納付きで賃料が一か月256€(約37,000円)程度だった。

文化に触れた思い出もある。私が滞在していたディジョンでは、学生特典の「文化カード」というものを5€(約700円)で作ると、ディジョン内で行われる、通常ならば60€ほど必要なオペラやコンサートなどの文化イベントのチケットが、5€で購入できる仕組みがあった。その仕組みを利用して、フランス人の友人とORCHESTRA BAOBABというセネガルのミュージシャンを観ようとライブハウスへ赴いた。その友人はプロジェクトを通してセネガルに長期滞在した経験からセネガルの文化に精通しており、ORCHESTRA BAOBABとはセネガルで大人気で、そんな彼らがディジョンに来る、と教えてくれた。彼女が言うなら、私も彼らの音楽を聴いてみたいと思い、このイベントに参加することになった。アフリカにはまだ行ったことがない私だったが、彼らの穏やかで寛大な音楽を聴くと、まだ見ぬセネガルの広大な大地が脳裏に自然と浮かび上がり、全身で没頭したひと時だった。

秋季から冬季にかけて留学した私は、季節限定のイベントもいくつか楽しむことができた。その中でもなんといってもクリスマスマーケットは特別で輝かしい思い出だ。フランスでは12月上旬がやってくると、各地の中心市街地に出店やイルミネーションが設置される「クリスマスマーケット」が催される。ディジョンでも開催されたので、私は仲の良い友人と何度も訪れ、ホットワインを飲んだり、チュロスを食べたり、イルミネーションの灯りの下でアイススケートをした。さらに、フランスでは土地ごとに特色豊かなクリスマスマーケットが開催されているため、私は他の土地のクリスマスマーケットも楽しみたいと思い、期間中に二つの街を訪れた。一つ目は言わずと知れたParisである。コンコルド広場を使っているため敷地は大きく、愉快なアトラクションも数多く建てられていた。私は観覧車に乗車したのだが、シャンゼリゼ通りやエッフェル塔など、パリの有名な観光施設を上から一望できるという特別な体験をすることができた。二つ目はReimsである。シャンパーニュ地方という、シャンパンの生産が盛んな地域の中で中心的役割を果たすこの街では、都会過ぎない土地柄を活かしたあたたかみのある景観と、充実した食べ物やお酒を楽しんだ。

クリスマス以外の時期にも、何度か旅行をした。9月の週末には、一本の電車で行くことのできるコルマールという町へ一泊の旅行をした。この町は『ハウルの動く城』の舞台になっているほどメルヘンで美しい街並みで有名で、実際にその地を歩くと、現実とは思えない彩りや装飾を纏う建造物たちにうっとりせずにはいられなかった。また、10月末から11月の始めにかけて一週間のバカンスがあり、そこではドイツのハンブルクとフランクフルトの二都市に旅行することができた。フランスの隣の国ではあるが似通ったところは少なく、しかしながらドイツならではの魅力的な建造物、食べ物、ビールなどにはたくさん出会うことができて、発見の多い旅だった。

クリスマスマーケットやドイツ旅行とはまた違った旅行として、フランス人の友人の実家に二泊の滞在をさせてもらったことも紹介する。その友人は日本文化に関心があり、日本語も勉強している。ディジョンから電車で一時間半ほどのAuxerreというところに彼女の実家があり、12月末から新年にかけての休暇の際に彼女も帰省するので、その際に招待してもらった。Auxerreの中でも田舎の地域の一軒家にある彼女の家では、近所を散歩したり、Netflixでフランス語字幕を付けてジブリ映画や日本のドラマ作品を観たり、彼女の母と三人で映画館へ映画を観に行ったり、町の博物館を訪れたりして過ごした。フランスの家庭料理やワイン、シャンパンも味わうことができて、貴重な経験を得た。

そして、自分へのお土産も手に入れることができた。海外の中でも一番と言われるほど漫画人気の高いフランスでは漫画専門店も多く、日本の漫画が、古いものから新しいものまでたくさん売られていた。私は『BLUE GIANT』を購入した。漫画は、絵があることで内容を理解する手掛かりとなってくれるため、フランス語でも読みやすく、好きな漫画であれば何度も読み返すので、フランス語版で漫画を読むことは効果的な学習法であった。寮の自室で『BLUE GIANT』を電子辞書と共に読み進めることが毎晩の小さな楽しみだった。

5.留学先で辛かったこと

食べ物やお酒が充実しており、出会ったのも優しい人たちばかりで幸運な留学生活を送ることができたが、やはり異国。日本では起こらない類の困難を、母国語以外を使って乗り超えなければならない場面もあった。たとえば、ビザ申請や保険、現地での入寮手続きに関することなど。中でも最も疲弊したのは、滞在を終え、帰国便に乗るため空港まで移動をする日に、交通機関の大型ストライキが起こってしまったことだった。フランスのストライキの多さは聞いたことがある人もいるだろう。私も滞在中に何度かストライキが起こったが、そういった日に重要な用事が入っていることはなく、ストライキに悩まされることなく滞在を終えられる、そう思っていた。しかし、まさかの最終日の移動と、大型のストライキが重なってしまったのだ。空港までの移動では、まずTGV(新幹線のようなもの)でディジョンからパリまで移動し、TGVが到着する駅から地下鉄やバスを乗り継ぐ。治安がいいとはいえないパリの中を移動することは、通常時であっても気を引き締める必要があるが、帰国のために合計40㎏ほどの重く大きな荷物を抱え、ストライキの渦中ともなると気を引き締めるだけでは済まない。その日は電車やバスの全てが動かないわけではなく、本数が減便されてしまうだけであったため、電車に乗ることはできるのだが、混雑が予想された。ストライキの予告は一週間前には発表されていたため、フランス人の友人に相談すると、昨今のパリのストライキ下の交通状況を熱心に調べ、おすすめの電車を選んで、事細かに教えてくれた。一番安全とされていたルートを選んでも、予定にない乗り換えが増えたり、乗り換え方が難しかったり、大荷物を抱えながら満員電車で押しつぶされそうになったりと、困難は尽きなかったが、予定時刻までになんとか空港に到着することができた。友人の助言なしには成し得なかっただろうと思い、友人への感謝が溢れて止まない。私の場合、留学中に起こったいくつかの困難はすべて、以上のように人の助けがあり乗り越えることができた。

6.まとめ

私は2回生時にオンライン留学も経験した。そこでは、今までになかった角度からのフランス語学習動機を得て、語学力の向上も実感することができた。しかし、現地留学では大切な友人たちに出会い、彼女たちともっと話をしたいという、「コミュニケーションに突き動かされる語学習動機」を獲得し、この動機は何よりも強力な効力を持っていた。オンラインでも留学が代替できるようになった今の時代は素晴らしいが、それでも、現地留学で人々と関わり合いながら学ぶことには今も消えない価値があると言える。帰国後の今も連絡を取り合っている友人も多く、必ず日本に来ると言ってくれている友人もいるなど、今も続く友情を築くことができたことを心から嬉しく思う。